自己紹介☆

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初めまして。

理学療法士15年(令和3年)のとも学長と言います。

このサイト内の学長です(涙)。

初回の投稿で、自己紹介とこのサイトを説明しようと思います。

 

プロフィール

 福岡県出身の理学療法士。

 ごく一般的な家庭の次男として生まれる。

両親共働きで、祖母と一緒に暮らし「おばあちゃんっこ」になる。

父はサラリーマン、母は介護職。

貧しくもないが、セレブな生活でもない平均的な家庭だったのだろう。

普通の小学校、中学校、高校と進む。

大学受験で失敗(教育学部)。

リハビリにほぼ興味なかったが、父の勧めで受けていた滑り止めのリハビリ専門学校に・・・。

リハビリに関しては、祖父が脳梗塞でリハビリしていたのを一度見た程度の知識。

スポーツ分野にも携われると聞いてたので、そっちに進もうかな~くらいで考えていた。

それに、浪人もしたくなかったという思いもあった。

 

リハビリの学校は専門学校で4年間、のらりくらりと普通に卒業。

実習でカリスマ的なセラピストやメンターに出会うこともなく、こんなもんかと思っていた。

 

卒業後は、中規模の総合病院に勤務。

そこでは運動器疾患、脳血管疾患が主で、急性期~回復期と一人の患者に長期間携われた。

グループとしては、病院、老健、デイケア、訪問と手広くやっており、ローテーションで様々な部署に飛ばされる仕組みとなっていた。名目は、経験を積ませるためだが、人で不足や人間関係等々で本人の意思はそっちのけで移動させられていた。

リハビリスタッフ数も多く、100人以上はいるため、1年通して話をしない人も何人もいた。

この時の初任給が約350万円。いまでも明細書はとってある。

その時に10年先輩の給料を聞いた。400万円だった。

10年働いても、たった50万しか増えないことに愕然としたことを覚えている。

 

そこで6年間勤務し、やりたかったスポーツ分野に携わるため整形外科クリニックへ転職。

近場で、スポーツ整形をしているとことなると限られたため、あまり選択の余地はなかった。

整形・スポーツ分野は、本当にやり甲斐を感じた。もちろん、自分が興味ある分野であったこともあったが、自分の力で治療して治している!と過信していた。

仕事は遅く、仕事や学校帰りの患者さんをリハビリし、そのあと勉強会、自己研鑽の勉強、スポーツトレーナーとしての活動、協会活動、ボランティア活動・・・・

3年間、どっぷり整形、スポーツリハの毎日。正直、勉強してたことが身になっていたかは疑問だが、やり甲斐だけで仕事をしていた。

 

気づけば、理学療法士として9年となっていた。

その間に結婚し、子供もできた。

 

新人の頃の、10年先輩の給料をふと思い出した。

年収380万円。

 

9年目の自分、、、、年収、、380万円・・・・。

 

当初勤めていた病院にいた想定よりも低い・・・・。

家庭を持ち、子供もいて、妻より給料が安い・・・。

 

心の底からこのままでは駄目だ、と感じた。

 

そこから、現在の地域の中核病院に転職。

そして、同時に兼業(訪問リハビリのバイト)を開始。

 

兼業はバイトなので確実にプラスの給料をもらえたが、その分、家族との時間を削ることになった。

どうにか、家族との時間を減らさないで年収アップできないかと再考。

 

そこで副業としてネットアフィリエイト、転職コンサルタントを開始した。

これが芽が出始めるのに半年、起動にのるのに1年要した。

 

子供が寝た後の時間はほとんどパソコンに向かって、土日は必ず家族サービスと決めていた。

朝活する日もあった。

仕事に行く電車では毎日スマホと向き合う。

 

それでようやく、、、

 

年収+200万円!

正直、大変だった。時間もかかった。挫折しそうにもなった。

だけど、自分を信じ、家族を思い頑張った。

 

今は、家族と一緒に寝る時間もあるし、旅行でゆっくりする時間もある。

通勤時間の合間で副業が成り立つくらいになった。

 

今からは、もっと働き方も同じセラピストに伝えていきたい。

と思う今日この頃です。

 

 

コメント

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